1970年代初頭、家庭でいわゆるテレビゲームを遊ぶという概念はありませんでした。しかし、1972年に、世界初の家庭用ゲーム機が登場。1974年にアーケードで爆発的な人気だったアタリの「PONG(ポン)」が、テレビにつないで遊べるマシンとして発売され、世界中の数多のメーカーが類似品を出したことにより、家庭用ゲーム機の市場が立ち上がっていきます。
国内でも、ナショナル(現在のパナソニック)や日立製作所、東芝などが、PONGと同様のテニスのようなゲームが遊べるマシンを発売。任天堂も「カラーテレビゲーム6」などを投入し、日本でも「家でゲームを遊ぶ」文化が育まれていきます。

「ODYSSEY(オデッセイ)」は、アメリカの電気機器メーカーであったマグナボックスが、1972年に発売した世界初の家庭用ゲーム機です。画面に表示された光を操作するだけの単純なものでした。
また、1978年にはフィリップスが後継機となる「ODYSSEY 2」を発売。キーボードとコントローラーが付属し、対応タイトルも50種類程あり、日本でも輸入販売を行いました。
アタリの「PONG」は、アーケードで人気のゲームをテレビで遊べるようにしたマシンです。板状の自機を操作してボールを打ち合うという単純な内容でしたが、1975年に発売されたアメリカでヒットを飛ばし、世界各国で輸入販売されました。
1977年7月に登場したのが、バンダイの「TV JACK」シリーズです。アタリの「PONG」とほぼ同じボールを打ち合うゲームが遊べる「TV JACK1000」のほか、レースゲームも遊べる「TV JACK3000」、シューティングゲームが遊べた「TV JACK2500」など、5機種が発売されました。
「TV FUN」は、トミー工業(現在のタカラトミー)が1977年9月に発売した家庭用ゲーム機のシリーズ名です。初代のmodel401からmodel902まで、全8機種が1977~1978年の短いあいだに立て続けに発売されています。model801以降は付属コントローラーに光線銃やバイクのハンドルを採用するなど、バリエーション豊かでした。
カセットを変えると違うゲームが遊べるというしくみで、大ブームを巻き起こしたのがアタリの「ATARI VCS(ビデオコンピューターシステム)」です。北米で発売されたのは1977年。日本には、当初輸入販売の形で入り、1979年に入るとエポック社が「カセットTVゲーム」という商品名で展開しています。
日本でも社会現象を巻き起こした「スペースインベーダー」の移植をはじめ、サードパーティーが続々参加したことで一気に普及が進みました。その後、1982年頃から明らかに出来の悪いタイトルが目立つようになり、いわゆる「アタリショック」が起きて市場が崩壊。ユーザーだけでなくサードパーティーが次々離脱したことで家庭用ゲーム機としても終焉を迎えました。
エポック社が1981年7月30日に発売したのが「カセットビジョン」です。カセットを入れ変えてさまざまなタイトルを遊べること、CPUをカセットに搭載することでゲーム機本体の価格を13,800円に抑えたことが奏功し、任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)が登場するまで、国内市場のトップを走りました。
バービー人形で有名なマテルが1979年にアメリカで発売したマシンを、1982年7月20日にバンダイが国内向けにしたのが「インテレビジョン」です。時代を先取りする16ビットCPUを搭載し、ビジュアル面も同時期の他社ハードを圧倒。対応するタイトルもスポーツゲームを中心に取り揃えていましたが、大半が英語版の移植で国内独自のものがなく、広く普及するには至りませんでした。
1982年8月に出荷が開始されたのがコモドールのホームPC「コモドール64」です。アメリカでは本体購入時に不要なゲーム機を引き取るキャンペーンも奏功、ホームPC市場で頭角を現しましたが、日本では99,800円という値段と、対応タイトルの少なさで大苦戦。同年11月に廉価版の「マックスマシーン」(34,800円)を投下しますが、ほかのホームPC同様、ファミコンには歯が立ちませんでした。
トミー(現在のタカラトミー)が子ども向けPC(ホビーパソコン)として、1982年8月20日に売り出したのが「ぴゅう太」です。59,800円と高価でしたが、プログラミングとお絵かきツールを搭載し、ゲームも遊べる入門用PCとして人気を集めました。翌1983年には、キーボードを廃してゲームに特化した「ぴゅう太Jr.」を、1984年にはキーボードをプラスチック製に変更した「ぴゅう太mkII」も発売されています。
ビジネス向けPCで注目されていたソードとタカラが共同開発し、1982年10月に登場した「ゲームパソコンM5」は、同時期のホビーユースPCとしては群を抜く性能を持っていました。対応タイトルもアーケードからの移植をはじめ、ナムコやコナミといったサードパーティーも参加。1983年には廉価版の「M5 Jr.」や「M5 pro」も発売されました。
インテレビジョン同様、バンダイが海外製マシンのライセンスを取って1983年3月に発売したのが「アルカディア」です。宣伝ポスターには「機動戦士ガンダム」「超時空要塞マクロス」「Dr.スランプアラレちゃん」「ドラえもん」のゲームが遊べることをうたっていました(実際は「機動戦士ガンダム」のみリリース)。インテレビジョンでの失敗を踏まえ、バンダイが制作した国内向けタイトルも投入されましたが、販売は振るいませんでした。
アーケードの麻雀ゲームで定評のあった日本物産が、1983年5月9日に発売したのが「マイビジョン」です。本体に1~14までの数字とA~Eまでの英字のボタンがあり、これで「マージャン」や「ハナフダ」「リバーシ」といったテーブルゲームをプレイできました。専用タイトルは全6本。通信対戦機能もありましたが、本体が2台必要という仕様もあって、日の目を見ることのないまま終売となります。
アスキーの西和彦氏とマイクロソフトのビル・ゲイツ氏が提唱し、当時メーカーによってバラバラだったPCの共通規格として立ち上げたのが「MSX」です。1983年6月のプロジェクト発表時に参加を表明したのは、キヤノン、京セラ、三洋電機、ソニー、東芝、日本ビクター、日立製作所、パイオニア、富士通、松下電器、三菱電機、ヤマハと、日本を代表するメーカーがそろいました。安価で専用ソフトウェアが豊富な入門用PCはゲーム機としても優秀で、エニックスやコナミ、ナムコ、ハドソンといったメーカーが、アーケードやほかのPCからの移植作を数多く出しています。
この共通規格は、1985年に「MSX2」、1988年に「MSX2+」、1990年に「MSXturboR」が提唱され、それぞれ対応ハードが各社から発売されました。また、2022年9月3日に生みの親である西和彦氏が、「MSX3」プロジェクトを発表しています。
1982年に北米で発売された「Vectrex」を、バンダイが「光速船」として国内展開したのは1983年7月のことです。直接走査線で文字や絵を描画する、ベクタースキャン方式の9インチモニターがついた重くて巨大な本体はインパクト十分でしたが、54,800円と家庭用ゲーム機としては高額で、専用タイトルも12本しか販売されなかったため(日本未発売を含めると22本)、極めて限られたユーザーにしか届きませんでした。
1983年7月、当時ブームだったホビーPCの世界にバンダイが投下したのが「RX-78」です。本体の背面に2つのスロットを設け、あらゆるソフトウェアと周辺機器を接続する「ダブルカートリッジシステム」を採用。RX-78オリジナルを含め、対応ゲームは19本を数えましたが、ホビーPCはMSXの一人勝ちとなり、早々に役割を終えています。
学習研究社(現在の学研ホールディングス)が、1983年10月に発売したのが「TVボーイ」です。本体左側にある取手と、右側にあるジョイスティックで操作するコントローラー一体型のマシンは、8,800円という衝撃的な価格でしたが、対応タイトルが6本しか発売されず、短命に終わってしまいました。
カシオ計算機から1983年10月に発売された「PV-1000」は、ファミコンやセガの「SG-1000」とほぼ同価格帯(14,800円)で普及を目指します。専用タイトルも13本リリースされ、中には「ディグダグ」や「スーパーコブラ」など、当時アーケードで人気だったものも含まれましたが、ファミコンには敵いませんでした。なお、同時発売の「PV-2000 落がき」も29,800円と当時のホビーPCとしては低価格ですが、PV-1000との互換性もなく、専用タイトルは11本。翌年、カシオ計算機がMSXに参入したことで事実上終了しました。
カセットビジョンの後継機として、1984年7月17日に登場したのが「スーパーカセットビジョン」です。優れたスプライト機能やRGB出力を持ち、12個のボタンがあるセレクトキーと本体に収納できるジョイスティックを使う操作はユニークで、「ドラえもん」「ドラゴンボール」といった人気漫画のゲーム化など、力の入ったマシンでした。しかし、すでに社会現象となっていたファミコンには遠く及ばず、エポック社は家庭用ゲーム機のハード開発から撤退してしまいます。
日本電気(NEC)の子会社だった日本電気ホームエレクトロニクスがハドソンと共同開発し、1987年10月30日に発売したのが「PCエンジン」です。同じくNECの子会社であるNECアベニューとハドソンに加え、任天堂ともめたナムコが強力なタイトルを続々投入し、ちょうどハードの切り替え期だったファミコンとスーパーファミコン、そしてセガのセガ・マークIIIとメガドライブとのシェア争いを展開しました。
1988年12月4日、PCエンジンの周辺機器として、家庭用ゲーム機としては世界初となるCD-ROMを搭載した「CD-ROM2」が登場します。ROMカートリッジとは比較にならない容量と音源、美しいグラフィックはユーザーの心をつかみ、特に広井王子氏が制作した「天外魔境 ZIRIA」の表現力の高さは、当時のゲームの常識を覆すものとなりました。
その後、1991年12月13日に発売された後継機「SUPER CD-ROM2」でも、「ときめきメモリアル」のように、現在までシリーズが続く名作が生まれています。
バリエーション豊かなハード展開も、PCエンジンの特徴です。初代のマイナーチェンジ版「PCエンジンコアグラフィックス」、AV端子のテレビ出力ができる「PCエンジンコアグラフィックスII」、CD-ROM2との接続ができない形状の廉価版「PCエンジンシャトル」、グラフィック機能を強化した上位互換機「PCエンジンスーパーグラフィックス」、SUPER CD-ROM2と一体になった「PCエンジンDuo」とその廉価版「PCエンジンDuo-R」、さらにマイナーチェンジした「PCエンジンDuo-RX」、携帯型の「PCエンジンGT」と「PCエンジンLT」など、多くのマシンが送り出されました。
また、初代の発売から30年以上経過した2020年3月19日には「PCエンジン mini」も登場しています(発売元はハドソンを吸収合併したコナミデジタルエンタテインメント)。
アタリから分社したアタリコープが、1989年9月1日に発売した携帯ゲーム機が「ATARI Lynx(アタリ リンクス)」です。カラー液晶で同時発色数は4,096色、スプライトの拡大縮小回転機能、通信ケーブルでの8人同時プレイなど、同年に発売された任天堂の「ゲームボーイ」を圧倒する性能を誇ります。
さらに、本体を反転させると画面も反転、左利きのプレイヤーが違和感なく遊べるユニバーサルデザインを採用。時代の先端を走る内容でしたが、タイトルに恵まれずゲームボーイに大敗。1991年7月には小型省電力化した「ATARI Lynx II」を投入しますが、時すでに遅しでした。
SNKが1991年7月1日に発売したのが「NEOGEO(ネオジオ)」です。これは、その前年に同社がアーケードで展開したMVS(マルチビデオシステム)を小型化し、アーケードと共通のカートリッジを使う、「ゲームセンターのゲームをそのまま家で遊べる」夢のマシンでした。
当初はレンタルのみでしたが、その後58,000円で一般販売を開始。ほとんどのカートリッジが3万円代と高額だったものの、国内で100万台を超えるヒットとなります。
タイトルの供給をCD-ROMに変え、1本あたりの価格を下げた「NEOGEO CD」は、1994年9月9日に登場しました。初期ロットはCDメディアの挿入をフロントローディングで行うタイプでしたが、1994年11月2日出荷分からトップローディングに変更しています。さらに、1995年12月29日には、CDドライブを倍速にパワーアップした「NEOGEO CDZ」を発売。
しかし、アーケードの大容量タイトルを読み込む時間(ロード時間)が長くなったことでユーザーの支持は得られず、NEOGEOよりも早く生産終了になってしまいました。
NECのPC-98シリーズに対抗し、富士通が発売していたPC「FM TOWNS」を小型化、テレビに接続してゲームを楽しめるマシンとしてリリースされたのが「FM TOWNS マーティー」です。発売日である1993年2月16日までに発売されたほぼすべてのFM TOWNS対応タイトルをそのまま遊べることがウリでした。しかし、98,000円という価格(1994年に66,000円の「FM TOWNS マーティーモデル2」も登場)と、本体発売後の対応タイトルの少なさがネックとなり消えていきます。
1993年8月20日にパイオニアが発売した「レーザーアクティブ」は、CDとCDV(コンパクトディスクビデオ)、LD(レーザーディスク)を再生できるコンパチブルLDプレーヤーです。ほかのLDプレーヤーとの違いは、専用パックを接続するとPCエンジンやメガドライブのゲームが遊べること。さらに、レーザーアクティブだけで遊べる独自タイトルも登場し、アーケードのクオリティをそのまま移植した作品や、ほかの家庭用ゲーム機では実現できなかったアダルト表現のある作品が人気となりました。
ATARI VCSで一世を風靡し、アタリショックで沈み、1983年の「ATARI 2800」もNES(NintendoEntertainmentSystem:北米版のファミコン)に歯が立たず、家庭用ゲーム機の世界で存在感を失っていたアタリが、1993年11月23日にアメリカで発売したのが「ATARI Jaguar(アタリ ジャガー)」です(日本の発売日は1994年12月8日)。ライバルを凌駕する64ビットCPUを搭載し、テンキー上のボタンを配した独特なコントローラー、周辺機器として「ATARI Jaguar CD」と独自の世界を築こうとしましたが、本命だった北米でまるで売れず、日本でも数千台程度という惨敗を喫してしまいます。
アメリカの企業・3DOが提唱した家庭用ゲーム機の統一規格が「3DO」です。日本では松下電器産業(現在のパナソニック)が1994年3月20日に「3DO REAL」を、同年10月1日に三洋電機が「3DO TRY」を、さらに11月11日には松下電器産業が「3DO REAL II」を発売しました。セガサターンやPlayStationに先駆ける32ビットマシンとして注目を集め、カプコンの「スーパーストリートファイターII X」や、ワープの「Dの食卓」、コナミの「ポリスノーツ」といった注目作が続々登場。しかし、最も安かった3DO REAL IIでも44,800円という本体価格がネックとなり、1996年に最後の専用タイトルが発売されて市場から姿を消しています。
1994年9月23日にバンダイが発売したのが「プレイディア」です。CD-ROMに収録したムービーを再生するメディアプレーヤーとして、アニメや特撮、声優をテーマにした専用タイトルが33本発売されました。映像を分岐させる、途中に選択肢が出てくるといったインタラクティブ要素だけでなく、ミニゲームが遊べるタイトルもありましたが、より安価なメディアプレーヤーがたくさん登場したことで役割を終えています。
PCエンジンで成功を収めていた日本電気ホームエレクトロニクスとハドソンが、1994年12月23日に発売した次世代機が「PC-FX」です。同時代のセガサターンやPlayStationが3Dのリアルな映像に注力していたのに対し、PC-FXは2Dに強みを持つマシンとして独自の路線を進み、流麗なアニメシーンがコアなファンに受けました。
その後、安価な開発ツール「PC-FXGA」というPCにつなぐ拡張ボードを発売するなどタイトルの拡充に努めましたが、ライバルとの差は大きく開き、1998年6月に発売元の日本電気ホームエレクトロニクスがセガの「ドリームキャスト」への参入を発表。NECグループによる家庭用ゲーム機の歴史はPC-FXが最後となりました。
1995年10月、カシオ計算機が一風変わったゲーム機「マイシールコンピューター ルーピー」を発売します。これは、当時人気だった「自分だけのシールを作れる」マシンにゲーム機の機能を持たせたもので、ROMカセットを差し替えることでさまざまなゲームをプレイできました。シール制作に特化したタイトルだけでなく、アドベンチャーゲームやシミュレーションゲームなどもあり、マウスなどの周辺機器も用意されています。PlayStationやセガサターンとは違う層を狙った商品ですが、ヒットには結びつきませんでした。
バンダイの子会社であるバンダイデジタルエンタテインメントが1996年3月28日に発売した「ピピンアットマーク」は、アップルのPC「Power Macintosh(Mac)」をベースにしたマルチメディア端末です。PCとしてとても高価だったMacが安価(64,800円)で買える、互換性があるといった事前情報によりユーザーの期待感は高かったものの、蓋を開けてみると性能はきびしく、Macとの互換性も一部にとどまっている実態が明らかになり、販売は振るいませんでした。
1998年10月28日、SNKから発売されたのが「ネオジオポケット」です。モノクロ画面でしたが、SNKが誇る格闘ゲームを指が痛くなりにくいジョイスティックで遊べ、7,800円と安価だったこともあって同社のファンを中心に話題になりました。しかし、本体の発売前にカラー液晶を搭載した後継機が発表されていたこともあって、専用タイトルも全9種類と少なく、短命に終わってしまいます。
1999年3月4日、驚きの4,800円という本体価格で勝負に出たのが、バンダイの「ワンダースワン」です。任天堂で数多くのハードに携わった、横井軍平氏が設立した会社・コトが開発に参加。多くのボタンを配置して、横持ち・縦持ちに対応しており、現在のスマホアプリのように、横画面でも縦画面でもゲームが楽しめました。また、単三電池1本で遊べる省エネ設計も時代を先取りするものでしたが、画面がモノクロだったことから大きなヒットには至らず、早々に後継機と交代することになりました。
ネオジオポケットの発売から約半年後、1999年3月19日に登場したのが「ネオジオポケットカラー」です。発売元はもちろんSNK。同社の強みを活かした格闘ゲームや人気シリーズのスピンアウトなど、サードパーティーを含め魅力的なラインナップがそろいました。カラー化されただけでなく、画面も大きくなり、連続稼働時間も長い優秀な携帯ゲーム機ですが、ゲームボーイアドバンスには大差をつけられ、1999年10月21日に小型軽量化した「NEWネオジオポケットカラー」を投入するも及びませんでした。
2000年12月9日、モノクロ画面で苦戦していたワンダースワンの後継機として発売されたのが「ワンダースワンカラー」です。基本仕様はそのままに、サイズアップしたカラー画面を実現。メモリや音声再生なども強化し、発売元であるバンダイ製のゲームだけでなく、スクウェアやナムコなどサードパーティーのタイトルも数多く発売されています。しかし、FSTN液晶の画面はやや見づらく、2002年7月12日にTFT液晶に変更された「スワンクリスタル」と交代することになりました。
「ハーフライフ」シリーズなどの開発で知られるアメリカのValveが、2003年9月12日にサービスを始めたのが「Steam(スチーム)」です。いわゆるゲーム配信サービスの先駆けであり、PCやスマートフォンで世界中のタイトルを購入しプレイすることができます。2022年11月現在、100を超える言語に対応、3,000万人を超える同時接続数を誇る世界最大のオンラインゲームサービスとなりました。
世界有数のパブリッシャーであるエレクトロニック・アーツが、2011年6月3日にサービスを開始したのが「Origin(オリジン)」です。PCやスマートフォンで遊べるタイトルを(エレクトロニック・アーツ以外の作品も含め)オンラインで購入、プレイできます。FacebookやXbox Live、PlayStation Network、ニンテンドーネットワークとの統合などによりユーザーを惹きつけてきましたが、ライバルであるSteamには少し遅れをとっています。
2012年12月28日、アメリカのTommoがSNKプレイモアのライセンスを得た「NEOGEO X」を発売しました(北米やヨーロッパは同年12月18日に発売)。本体に20種類の歴代SNKタイトルを内蔵していたほか、追加ゲームカードを購入することでさらに15タイトルを遊べます(追加ゲームカードは国内未発売)。携帯ゲーム機でありながら、同梱のドッキングステーションでテレビ出力も可能で、アーケードスティックを使えばアーケードと同じ感覚でプレイできました。
「フォートナイト」「ギアーズ オブ ウォー」などの世界的ヒットシリーズや、開発ツール「Unreal Engine」で知られるエピックゲームズが始めたオンラインゲームサービス「Epic Games Store」は、2018年12月6日にスタートしました。先行していたSteamなどより販売手数料を低く設定することでサードパーティーの参加を促し、自社の強力なタイトルの効果もあって一定の地位を築いています。
Googleが2019年11月19日にサービスインしたクラウドゲームサービスが「Google Stadia(グーグル ステイディア)」です。特定のハード(ゲーム機)ではなく、PCやスマートフォン、タブレットなどが対応しており、月額課金で大手ディベロッパーのAAAタイトルからインディーズまで、さまざまなタイトルをプレイできる画期的なサービスでしたが、2023年1月18日に終了することを発表(2022年9月30日)。多くのディベロッパーに衝撃を与えました。
2020年9月24日にスタートしたAmazonのクラウドゲームサービスが「Amazon Luna(アマゾン・ルナ)」です。月額6ドル程で、さまざまなタイトルが遊び放題になるもので、Amazonのサービスが受けられる端末であればスマートフォンでもタブレットでもPCでも、場所も選ばずプレイできます。ゲームが実際に動作しているのはAWS(Amazon Web Service)上のため、端末側の性能を問わない点が最大の特長ですが、日本はまだサービス対象地域になっていません。フリープレイのタイトルや専用コントローラーを用意するなど、力も入っているだけに、遊べるようになる日が来るのを待っている人も多いサービスといえます。
2021年6月15日に発売されたのが、アタリの「ATARI VCS」です。かつて大ブームとアタリショックを巻き起こしたマシンと同じ名前ですが、最新のCPUとGPUを搭載し、WindowsなどのOSをインストールすると、PCとしての利用もできる最新鋭のマシンに生まれ変わりました。
アタリ復活のプロジェクトは2017年に発表され、クラウドファンディングによる資金調達や発売延期を重ねるなど、話題には事欠きません。懐かしいアタリのゲームだけでなくインディーズのタイトルも豊富ですが、日本語に対応していないのでプレイには英語力が必須となっています。
2022年8月4日に日本でも予約できるようになったのが、ValveのポータブルゲーミングPC「Steam Deck(スチーム デック)」です(アメリカなどでは発売済み)。同社のSteam上に展開されているタイトルを遊ぶためのマシンで、独自のOS「SteamOS」を搭載、タイトルのサーチやダウンロード、プレイ感などがゲーマー向けに特化されています。
1970年代のアメリカで始まった家庭用ゲーム機の歴史は、アタリショック以降、任天堂やセガ、NEC、ソニーといった日本企業に主役が移りました。その後も、数多の企業が挑戦しては敗れ、日本でもセガやNEC、バンダイなどがハードの開発から撤退しています。それでも、任天堂とソニーはマイクロソフトと世界のトップを争っていますし、それぞれの最新ハードは順調にセールスを伸ばしてきました。
一方、Google Stadiaが約2年でサービス終了という驚きこそありましたが、家庭で遊ぶゲームは専用のマシンではなく、「クラウドサービスを利用するものに変化している」ことも事実です。AmazonやValve、エレクトロニック・アーツ、エピックゲームズなどのサービスは、いずれもユーザーの心をつかみ、多くのタイトルを並べる巨大なマーケットになっています。
今後、任天堂やソニー、マイクロソフトが次世代ハードを投入するのかはわかりませんが、少なくともパッケージを大量生産して店頭で販売する形態は、ダウンロード販売やクラウド上でのプレイに変化していくものと考えられます。
ゲームクリエイターにとっては、巨額の開発費を投じられる大手パブリッシャーに属さなくとも、世界市場で勝負をできる時代の到来です。スマホアプリを含め、家庭用ゲーム機向けのオリジナルタイトルを温めている人にとっては、大きなチャンスがめぐってきたといえるでしょう。
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