セガのルーツは、1960年に設立されジュークボックスやピンボールマシンを販売する日本娯楽物産と、業務用アミューズメントマシンの製造を行う日本機械製造の2社。後者が開発した国産初のジュークボックスの名称は、「Service Games」の頭文字から「SEGA1000」と名付けられ、これが後のセガへと発展していきます。
アーケードゲームで多くのヒットを飛ばしたセガは、コンシューマ―ゲーム機(家庭用ゲーム機)の製造販売にも進出。1980年代には、任天堂やNECホームエレクトロニクスと激しいシェア争いを繰り広げました。特に、メガドライブ(SEGA GENESIS)は北米のユーザーに受け入れられ、世界的なゲーム企業として成長していったのです。
1990年代に入ると、ライバルはソニー・コンピュータエンタテインメントに代わったものの、キラーコンテンツの「バーチャファイター」を投入して互角以上の戦いを演じます。しかし、オンライン機能を前面に出した「ドリームキャスト」の失敗により、ゲーム機製造から撤退。その後はソフトメーカーとして、かつてのライバルにタイトルを供給する立場となっています。
そんなセガハードの歴史を、安価な家庭用パソコンであった「SC-3000」から順に振り返ってみました。

1983年7月15日に発売された「SC-3000」は、キーボード一体型のゲームパソコンです。専用のモニターではなく家庭用のテレビに接続してプログラムを打ったり、プリンターやデータレコーダーなどを接続したりすることができました。
ゲームは専用カートリッジで提供され、「麻雀」や「パチンコ」などの定番から「モナコGP」「ジッピーレース」など、アーケードに強いセガならではのレースもの、「ロードランナー」「コナミのハイパースポーツ」「スターフォース」など、サードパーティーのタイトルも出ています。
SC-3000と同日に発売された「SG-1000」は、SC-3000のキーボードを外してゲームに特化したマシンです(別売りのキーボードを接続するとSC-3000のようにプログラミングも可能)。1983年には21タイトル、1984年に11タイトル、1985年に8タイトルと、対応ゲームは徐々に減っていき、1986年と1987年は各1タイトルで打ち止めとなってしまいました。
なお、1984年に本体デザインを刷新し、ジョイパッド(コントローラー)が2個付属している後継機「SG-1000II」が出ています。
1985年10月20日、SG-1000とほぼ同じ1万5,000円でありながら、グラフィック性能の強化とオプションだったカードキャッチャを標準装備した「セガ・マークIII」が発売されました。ワイヤレスでテレビにゲーム画面を映し出す「テレコンパック」、対応するタイトルで豊かなFM音源を再生できる「FMサウンドユニット」、タブレットで絵を描く「テレビおえかき」など周辺機器も充実。「ハングオン」「ファンタジーゾーン」「スペースハリアー」をはじめ、アーケードで人気のタイトルが多数登場しました。
容量の大きい「セガ・ゴールドカートリッジ」の投入によりタイトルが充実しつつあったセガ・マークIIIの上位機種として、1987年10月18日に発売されたのが「マスターシステム」です。別売りだったFMサウンドユニットを標準搭載し、ゲームパッドには連射装置も加えるなど、ライバルである任天堂のファミリーコンピュータ(ファミコン)を凌駕する性能を誇ります。
また、現在のVRを先取りしたようなサングラス型の周辺機器「3-Dグラス」を使うことで、ゲーム画像が立体的に見えるタイトルも登場しました。
1988年10月29日、任天堂やNECに先駆けて16ビットCPUを搭載した「メガドライブ」が発売されました。キャラクターと背景を個別&同時に動かせるツインスクロール機能、オブジェクトを立体的に見せる影処理機能、メニューなどを自在に開くウインドー機能などにより、より精細な表現が可能になったこともあり、多くのサードパーティーが参入。弱みでもあったタイトルラインナップが強くなったことで、一般層の認知もアップ、セガの家庭用ゲーム機として初めて国内出荷が100万台を超え、最終的に318万台というメガヒットになりました。
北米では1989年に「SEGA GENESIS」として発売。当時は任天堂のNES(Nintendo Entertainment System)が市場を独占していたため苦戦をしいられるものの、NFLのスーパースターを起用した「ジョーモンタナ フットボール」や、世界的ミュージシャンが主人公の「マイケル・ジャクソンズ・ムーンウォーカー」などによって知名度を高めていきます。そして1991年、「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」の本体同梱といった販売戦略が功を奏して、爆発的なヒットを記録。一時は北米ゲーム機市場のトップシェアに立ち、全世界出荷台数は3,000万台を超えました。
過去最高のヒットとなったメガドライブには、さまざまな周辺機器も登場しています。マスターシステム以前のゲームが遊べるようになる「メガアダプタ」、電話回線を利用してホームバンキングができる「メガアンサー」、ゲーム配信サービスが利用できる「メガモデム」をはじめ、格闘ゲームブームに合わせて用意された「ファイティングパッド6B」「アーケードパワースティック6B」、マルチプレーに対応する「セガタップ」など、コントローラーも充実。遊びたいゲームに合わせて、プレイ環境を整えることができました。
また、日本IBMと共同で開発したパソコンと一体型の「テラドライブ」、日本航空とのあいだで共同開発されたコントローラー一体型の「メガジェット」のように、競合他社とは違うアプローチのゲーム機(本体)も発売されています。さらに、1993年4月23日には、一部の機能を外した廉価版「メガドライブ2」も登場し、これまでセガのゲーム機にふれてこなかった層にもアピールしました。
セガのハードはアーケードゲームからの移植が中心でしたが、家庭用ゲーム機独自のタイトルが増えたこともメガドライブの普及に大きな役割を果たしました。
特に1991年7月26日に発売された「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」は、主人公のソニックが同社を代表するキャラクターに成長。現在もさまざまなゲームに登場しています。ほかにも「ファンタシースター」(第1作はマスターシステム)、PC版から独自の進化を遂げた「アドバンスド大戦略」、本格RPGの「シャイニング&ザ・ダクネス」などがシリーズ化され、後のセガハードを支えるタイトルに育ちました。
メガドライブに接続することでCD-ROMのタイトルが遊べるようになる「メガCD」は、1991年12月12日に発売されています。しかし、定価が4万9,800円と高価で、専用タイトルが1991年は1タイトル、1992年は4タイトルと乏しく、コアユーザー以外には普及しませんでした。
ちなみに、1992年4月1日には、日本ビクターからメガドライブとの一体型である「ワンダーメガ」も発売されていますが、こちらは価格が8万2,800円と(カラオケとゲームが同梱とはいえ)家庭用ゲーム機としては強気すぎる価格設定でした(同年4月24日にセガがリリースした価格はカラオケとゲーム同梱なしで7万9,800円)。
こうした反省を踏まえ、1993年4月23日、メガドライブ2と同時発売された「メガCD2」では、価格を2万9,800円と大幅に下げたものの起爆剤にはならず、1995年12月22日に専用タイトルが出たのを最後に、幕を下ろしています。
16ビット機だったメガドライブとメガドライブ2を、32ビット機に性能アップできる「スーパー32X」は、1994年12月3日に発売されました。
専用タイトルは発売日と同時に3本、約2週間後にはアーケードで人気の「バーチャレーシング デラックス」も登場、翌年4月までにさらに7タイトルが投下される力の入れようでしたが、同時期に発売された「セガサターン」が一気に普及したこともあり、1995年10月20日の「バーチャファイター」を最後にタイトル供給はストップ。短命のハードになってしまいました。
任天堂のゲームボーイ一強だった携帯ゲーム機市場にセガがチャレンジした意欲的なマシンが、1990年10月6日に発売された「ゲームギア」です。
カラー液晶画面に、ゲームボーイにはなかったバックライトを搭載し、別売りの「TVチューナーパック」を装着するとテレビ放送も楽しめました。セガだけでなくサードパーティーも多数参加するなど健闘したものの、ゲームボーイの牙城を崩すことはできず、1996年12月13日の「Gソニック」を最後にタイトル供給は止まり、セガは携帯ゲーム機市場から撤退します。
※1996年3月に販売元を現在のセガトイズに変更したため、商品名がゲームギアから「キッズギア」に変わりました。
1994年11月22日、次世代ゲーム機戦争の先駆けとして登場したのが「セガサターン」です。従来の家庭用ゲーム機を大きく上回る32ビットCPUを搭載し、フルカラー(1,677万7,216色)の同時発色とポリゴンによる豊かな画面を実現。当時の家庭のテレビで再現できる最高峰のグラフィック性能により、ゲームの表現の幅を大きく広げました。
セガと関係の深かった日本ビクターは、完全互換機の「Vサターン」(1994年11月22日発売)、CPUを開発した日立製作所は独自の機能を追加した「Hiサターン」(1995年4月1日発売)を発売。サターンファミリーを形成しました。また、セガサターンと互換性を持つ業務用基板「ST-V」も開発され、アーケードからの移植が容易になったことも特徴です。
1996年6月23日の「NINTENDO64」の発売を前に、セガサターンは大胆な値下げを敢行。同年3月22日に機能を落とさず(ただし色はグレーからミストグレーに変更)、本体価格を2万円に下げます。さらに、1997年のクリスマス商戦からイメージキャラクターに藤岡弘、扮する「せがた三四郎」を起用してキャンペーンを実施し話題になりました。
セガサターンが人気を集めた理由として、タイトルが豊富だったことも挙げられます。本体と同時発売だった「バーチャファイター」を筆頭に、「バーチャコップ」「セガラリー・チャンピオンシップ」「電脳戦機バーチャロン」など、アーケードのクオリティをそのまま体験できるタイトルが本体の普及を牽引しました。また、「サクラ大戦」「パンツァードラグーン」「J.LEAGUE プロサッカーチームをつくろう!」といったオリジナルタイトルも好評で、それぞれシリーズ化されていきます。
さらに、100社以上を数えたサードパーティーからも「ぷよぷよ通」「スーパーロボット大戦F」「グランディア」「センチメンタルグラフティ」など、多くの人気タイトルが生まれました。アーケードやPC、ほかの家庭用ゲーム機からの移植作も、各社が看板としているタイトルを出し続けることでユーザーを惹きつけています。
1998年11月27日、セガ最後の家庭用ゲーム機「ドリームキャスト」が発売されます。モデムを標準搭載しており、オンラインゲームはもちろん、ブラウジングやチャットなども楽しめるほか、アーケード基板「NAOMI」と連動したゲーム開発&移植や持ち運びができるモニター付きの「ビジュアルメモリ」、ビデオチャットが楽しめる「ドリームアイ」など、先進的な取り組みはライバルをリードするものでした。
1999年6月24日には、本体を2万9,800円から1万9,800円に値下げを断行。「シーマン」「ソウルキャリバー」「バイオハザード CODE:Veronica」「シェンムー 一章 横須賀」などのスマッシュヒットはあったものの、市場を制していた「PlayStation」の強力なタイトル群には及ばず、2001年1月31日にドリームキャストの製造中止および家庭用ゲーム機の製造販売からの撤退を発表することになりました(なお、セガが出した最後のタイトルは2004年2月、サードパーティーが最後のタイトルをリリースしたのは2007年3月で、それまで本体のメンテナンスなどのサービスは継続)。
アーケードの体感筐体の先駆けであり、ポリゴンを最初期に採用するなど、高い技術力を誇るセガが開発した家庭用ゲーム機は、いずれも時代を先取る性能を持っていました。独自のゲームを生み出すクリエイティビティも高く、今も続く大ヒットシリーズも数多く抱えています。
しかし、揺るぎない市場を持っていた任天堂の「ファミコン」と「スーパーファミコン」「ゲームボーイ」には届かず、後発の「PlayStation」の後塵を拝し、ついにはハード事業から撤退することになりました。
それでも、世界中のファンが新作を待ち望む「ソニック・ザ・ヘッジホッグ」「バーチャファイター」といった歴史あるタイトルだけではなく、「ぷよぷよ!!クエスト(ぷよクエ)」「プロジェクトセカイ カラフルステージ! Feat. 初音ミク」「シン・クロニクル」など、アプリでもヒット作を連発。高いクリエイティビティと技術力を持つスタッフを抱えた、日本を代表するソフトメーカーのひとつとして、これからも新しい遊びを提案してくれることは間違いないでしょう。
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